調子がわるいときの自分が自信を出す為に読めばいい文

デパケンR単一のみにして、今度はとても安定してきています。

8月は体調を大きく崩しかけましたが、9月と10月あたまにかけては忙しい中でも自分のしたいことを絞りうまくこなしたと思います。自分のしたいことができているというのは素晴らしくストレスフリーであると感じます

ひとつ素晴らしいことを特筆しておきたい。
今まではいかなる調子のときも、良い時も悪い時も、公共の場に出れば無意識的にすごく緊張しているところがあり、得手不得手にかかわらずどの場でも自然に振る舞うことは難しかったが、先月から今月にかけてひさしぶりに街に出れるようになると今度は自分のすることのみに集中することが可能になっていた、という不思議なことがあった。
まあわかりやすく具体的に言えば図書館ですごく勉強に集中できるとか電車の中できままに読書できるっつーことです

これは当たり前のように思えて自分にとってはすごく難しいことだったので、うれしくてしょうがない。
図書館で自分の勉強に没頭できることは、森林に行って空気を吸い込むのと同じくらい気持ちのいいことです。
すかーっとする
自由自在にズームイン/アウトできる優秀なカメラみたいです

何がこういうふうな良い流れにつながったのだろう?と考えてみるがあんまりよくわからない。


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不安は惨め


そう
双極性障害はまだ自分の波がわかってくればある程度対応はできるし
よくも悪くも繰り返される未来があるし

でも
不安障害は
何が怖いのかわからない。
なんで怖いんだろう、なにが怖いんだろうって曖昧ではっきりしない
自分でわけがわからない
なんでこれが怖いんだろう と
どこまでも掘ってもわからない

人、すきなのに、なんでこわいんだろう
昔で言えばクラスメイトだったみんな、すきだったのに何がこわかったんだろう
わからない
ぜんぜんわからない



躁鬱は 疲れる けど
不安障害は 惨め だな。 


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ストレス(1) 他人の会話の方向性

ストレスシリーズ




電車や喫茶店などでは他人の会話が入り乱れているけれども
そういうところではすぐ他人の会話をことこまかに聞いてしまう

聞こうと思っているわけではなく耳が拾ってしまう、といったふう



これはそういう性質の人とそうでない人がいるみたいで

うちの親などに相談したところ
そんな他人の会話なんてきいてない!きにならない!という

どちらが多いかはわからへんけど
わたしみたいに気になってしまう人も少なくはないようではある
ちらほらそういう話をきくこともある


耳に入るだけなら興味を持ってきくぐらいで良いのだけれども
それが例えば人の悪口


でも困ったことに。大抵、特に喫茶店においては会話の8割って何かしらにたいする「主観的な」悪口で構成されているのが実情であって。

これはおおいに困ったことでわたしの精神を直撃するんですね
ぜんぜん他人の話だから気にしなくたって問題ないのにすごく心的ダメージが大きい

客観的な悪口(その場合は批判とでも言うのでしょう)ならぜんぜん聞いていてもつらくないのだけど、完全に悪意が見える言葉というのがつらい




ミュージックプレイヤーを作った人ありがとう!といつも電車の中とかで思う

神経症(5) 顔見知りの問題

神経症的症状シリーズ


友人と 赤の他人と の間の 顔を知ってる人々が苦手



友人もよし、まったく知らん人もよし、ただ苦手なのが
顔しってる程度の人々(知人というレベル?)


因って苦手な状況は教室などの空間


義務教育並みの全員の仲の良さなら可
大学などの親密度合いの薄い人たちの集まりは不可


全員と打ち解けている場所なら素晴らしくたのしめます
むしろ場を盛り上げることを約束する


赤の他人もへいきへいちゃら
交通機関や道を教えるのはだいすき
困っていそうな人を見かけたら声をかけずにはいられないぐらい
躁のときは結構、わけわからなそうにしてる人みかけたらすぐ声をかけてしまう



すごく苦手な状況は
お互い存在は認識しているのに話かける必要性がない という状況
もうこれはしんどすぎる

でもこれは社会的に多い状況ではある
なんらかの目的で集まった人々など…

でもそういう場所ってその場限り、1日限りのことって少なくって
例えば学校みたいにそれが引き続くから
苦手、ぐらいに思っていてもどんどん自分にとってダメが蓄積されて最終的に調子を大きく崩す原因にもなりかねない



親密度と距離のバランスが関係しているのかな




こんにちはって会話するのが当たり前な外国の村とかうらやましくもある





あと決定的なわたしの欠陥というか

人の顔を覚えるのがすごく苦手
というここまでは結構そうだという人は多いみたいだけれども
わたしはそれに環をかけて
自分が相手に覚えられていないかもしれないと思って
こちらが顔を覚えている人に話しかけることが本当にできない

ということで結構こまっている
自分を絶対に覚えていないだろう、と思ってしまうのだな

だからなんだろう、自分からわーーと話してきてくれるタイプの人はありがたいねえ








神経症(4) 電話は苦手

神経症的症状シリーズ



電話が苦手である。

小さい頃インターホンの受話器が怖くてしょうがなかった記憶が一番古い。

固定電話であれば
出るまで誰からかかってきている電話かわからないというのが苦手なのかもしれない

だから例えば携帯でも、なんらかの業務関係でかかってくる登録されていない電話というのは、よっぽど調子が良いときでない限りは出ないし、留守電にメッセージを相手が入れたものを聞き返して折り返しかけるという対応しか基本的にできない。
折り返しかけるのでもメモをあらかじめ作ってからしか電話できないし

友人や知人からかかってくる電話であっても、前触れなしに突然かかってくるものは基本出る事が難しい。(いきなりかかってくるのが電話なのにな)
何時頃かけるよという連絡があり、なおかつ自分の調子がほどほどに良いときのみ電話できる…というのが実情
出先での「今どこ?」ならできるけれども

仕事での電話対応は案外大丈夫、あんまり自分本体に関わらないから
でもこちらからかけるのは苦手





考えてみたら
距離やお互いの状況・環境を越境してくる感じが苦手なのかもしれない

同じ場所にいたらお互いの環境や気分的モードも同じ空間でありえるけど
電話ってお互い気分も違えば状況も違うところでいきなり繋がるし
うまく対処できない

たぶんもともと生物的にあかんストレスフルな機械なのやと思う
電話って



でも例外的に
酔っぱらうと何故か電話をかけるのが結構すきである
やたらかけまくるまではいかないけれども

躁のときに酔っぱらうと結構かけてしまう
いかにもな行動ではある

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