すっきりさせる Day:2012.05.16 15:26 Cat:今日の体調 近頃、ものを処分しまくっております。本・CD・服・機材・売りさばきまくっております。あーどうしよう、、おいとこうかなあどうしようかなあというものは基本いらないという心でばしばし捨てる。 URL Comment(0)Trackback(1)Edit
こんな時もたまにはある Day:2012.05.13 03:16 Cat:今日の体調 わーーーなんだか今とっても頭が冴えている!!!!!!!!!うれしい!!!!!!! URL Comment(0)Trackback(1)Edit
セルフケア Day:2012.05.13 03:07 Cat:アイデア 今日この本を知った「東洋医学セルフケア 365日」今まで代替医療的な本ちらちらみてきたけどめっちゃこれわかりやすい!説明が中途半端でなくて丁寧でよい読み込みたいと思うー URL Comment(0)Trackback(1)Edit
症状を振り返る 〜大学編〜 Day:2012.05.13 03:02 Cat:病歴と薬 自分の症状を振り返るべく書き連ねる中学編・高校編(1)(2)のつづきです大学では計3回休学し結局中退せざるをえなくなる自分の専攻は5人にも満たない小さなところであった電車とバスを経る片道1時間半の通学になった同じように朝は起きられなかったとりあえず水たまりのような高校生活をギリギリでも無事終えたというそれだけで私のまわりの人たちは安心した特殊な大学に受かったわりに特に目標もなく大学生になった●1年目ほぼ高校の続編のような一年間であった自分の性質や気をつけるべきことをふまえないままに大学生になった同じ勉強をする人が少ないのもあり完全に情報不足の中で相談相手も作れずに問題に対処できずに、やっぱり学校てすごくすごく苦手だと何となくおもうままに単位をごっそり落とすこれがつまづきの始まりである対人恐怖を把握できていれば、なんとかできたかもしれない大学になってたぶん神経症がもっと悪化した。大学の人のあり方って対人恐怖がある人には絶対つらいと思う。専攻の縦の関係の中でもっと交遊していれば救いようがあったのかもしれないと思う自分の勉強していることは好きだけれども自分の学部の雰囲気は大っ嫌いだったので違う学部の子と遊んでばかりいた大学生になると行動範囲も広くなる、高校のときからの、早くもっと幅広く遊びたい心が余計それを助長させました神経症的不安の発動を飲酒で吹き飛ばすという方法を覚えてからは、飲酒さえすればどこでも、わたしが恐怖を感じるような、あまり親しくない人とも楽しく過ごすことができるというのを利用するようになったからお酒の場である限りは気が楽だったりした専門性が高い大学に進んだわりには本当にやりたいことについて熟考した結果の進路というよりは、体調がわるいなかでそれなりに興味があって自分の特技を生かしてなおかつ少ない科目で受験できる、という、高校のときの現実問題への対応だけで考えたような進路であったので、入ったときからもうすでになんで私はこんなところにいるんだろう、という気持ちはどことなく存在していた具体的にそれを勉強してその先どうしたいということも想像することができなかったでもそれを思ったら自分を否定することになるのではっきり思うことができず学校以外で遊ぶことによって逃避していたのだと思うしかも運悪く知識だけは豊富であり、入学したときのまわりの子の無知さ加減に呆れ果てて余計やる気をなくしたこれから勉強する子は無知だったかもしれないがわたしよりはモチベーションも高かったろうし目標もあっただろうに、入学したときの一見したおもんなさにずるずる引きずられてしまったところもあるのかもしれない自分は精神の成長にひどくばらつきがある人間だと思うひどく大人びたところとひどく幼稚なところが混在している今でもこのとき勉強していた内容はすごくおもしろいと思うし、もったいないなーとは思うけれども、そのまま勉強できていたとしてもずっと心にはわだかまりのようなものは残っていたんだとは思うよ※ 追記あとから考えたのだけれども、やっぱり私はこの学校の自分の選んだ勉強、好きだった。でもできなかった。どうしていいかわからなかった。ぜんぶが曖昧だった。学校のシステムがもう少しよくて、あとメンタルヘルスにおけるバックアップが整っていれば、残留できたと思っている。自分のあかんかったことは、目標がなかったこと。勉強はだいすき。でも大学でたあとのイメージがわかない。だから自分にとってどの勉強が必要かがわからない。興味は山のようにある。溢れてくる。次から次へ、興味のあることに手をつけるけれども、すべき取捨選択ができていなかった。それも全部病気のなせる技というか。でもやっぱり学校がこわい→行かない→ついていけないというのがでかかったな。もう一度いうと、この勉強も、大学も、すきだった。そう入れるところでもなかったし、特殊だし、おもしろかったし、自分の大学、だいすきだった。めっちゃすきやった。辞めたくなかった。「わたしは健康上の理由により退学した」高校のときみたいに学校以外でたくさん遊んだ学部の人たちのつまらなさに当てつけるように特殊な環境であそんだ高校から引き続いていた音楽趣味を加速させて、そういうイベントをやる方にかかわるようになっていった自分はなにもうみだしていないのに 実際に音楽をつくる人たちと関わるようになったことで自分がなにかできているような錯覚に溺れた溺れているのは自分だったが そのことをわかっているだけに同じような遊びをしてる、自分と同じ立場の人たちを心の中で何もしてないくせにと批判していたほんとうに何もできないのは自分であったでもそこに関わっているのだけは当時は数すくないアイデンティティーであったすこし自分がえらくなったような気がしていた自分もなんかできる人間になりたいとずっと思っていた思っていてできないから やってる人と親しくなることだけが生き甲斐のようなさみしい自己実現なんども挑戦するけど、神経症が顔を出すなんどもなんども打ち拉がれるこの年に今の恋人と付き合いだした社会に発生する病理の勉強をしてた人なのでいろいろ基本の理解があったほぼそのまま自分の気持ちを言うことができる人間ができたことは自分のしんどさを肯定してくれる安心感の獲得であり同時にじぶんを客観的に見る人間ができたことでもありこれ以降少しずつ亀の歩みではあるが低い自己評価と自分を貶める癖をなおしてゆく振り返ればよくこんな無茶苦茶なわたしをずっと諦めずに見てくれているなあと思う感謝しているはっきりとは覚えていないがこの頃、躁鬱という判断をなされたような気がするデパケンをずっと飲んでいたリーマスは飲んでいなかった躁鬱の観察がいまでこそできるけど当時は自分の何が躁で何が鬱かさえも全然わかっていなかった●2年目休学という方法を知ってひたすらに休学したいと思い後期休学するそもそも自分の体のことだけを考えて休学すればよかったもののまだ自分の病理について客観視することができなかったからおかしな結論に至ったその当時は一人暮らしをすれば朝も早く起きなくていいしバスにも乗らなくていいし学校に近いところに下宿すれば「授業に出れない」のは解決するのではないか?という考えであった生活を自立させたら気持ちもかわるのではないか?という考えであった授業時の人間空間が苦手であること・つまり対人恐怖の神経症に気付けなかったとりあえず下宿したらなんとなく環境もかわって学校にいけるんじゃないか、と希望をつくりあげていたこのころは自分の行動もなんだかばらばらで何がやりたいとか何を軸にするとかそういうのが全くできなくてでもそれにすら気付けていなくてただやりたいことを追っかけるぐらいしかできなかったように思う気持ちが自由にならず行動にうつせないことをずっと気に病んでいたこのころからしっかりと心はかたくなで自分がやりたいことがあるのにいざやろうとしても体が動かない、という問題にずっと悩まされていたそれを解決したいと強く思っていたやりたいことを、はやくとりあえずやってみなくちゃ、やってみたいけどどれもやってみようとするとこわばって何もできない、悲しいという悪循環にみまわれていたそれで余計焦っていろんなものに手を出していた感じそれだけが頭にあってひたすら休学中はバイトばかりしていた今思えばあれはたぶん軽い躁だったんじゃないかとさえ思える下宿した夏ぐらいまでこの感じが続くこととなる休学してバイトする癖がなんとなくついてしまったバイト先と学校とプライベートと引き裂かれてしまって余計生活をダメにしたところがあることは否めないそれ以降この3つの世界がわたしに存在した完全に棲み分けをしていたから3人別人がいるような感じで生きていたモードを切り替えることは躁鬱だとか神経症の人にはきっとすごくよくないことだろう何かを抑えて何かを表出させるの繰り返しだからまさに引き裂かれて、どんどん自分同士が離れていった接客ばかりしていたからそれも神経症をひどくする原因になったはたらいている間にこにこして過ごすことは自分のしんどさを出せなくすることばかりを助長したしんどいときも笑顔でやり過ごすのは何もかもかくす自分でもしんどさをコントロールできなくなるじぶんさえも騙すこれだけ平気に暮らしているのだからと思っているうちにどんどん影ではストレスや疲労が蓄積されてもう本当はぼろぼろなのににこにこできることは自分にたいしてつらい仕打ちだ去年に引き続き音楽イベントの手伝いをしていた家から離れているのにはいい予定になったみんなの中にいるとしんどさなどのことを忘れておれたでもそれでもどこかその中に混じるのをしんどく感じる自分もいたがそれは自分自身で無視して黙らせていたみんなと準備をするのは楽しいが恋人と二人になるとわたし自身の普段は隠しているしんどさまでダムのように放流されこの頃はしんどいなあと呟くしかないような日々後期休学していたし、イベントの手伝いをしていたにも関わらず大学の学祭の委員としていろいろしていた実はこのとき結構調子が右肩下がりであったりしてしんどくなり始めだったので、楽しい中でもどこか毎日がどんどん重たくぶらさがるようになってきた自分の部署の委員長をしてた友達に一度、学校の友達では初めて、自分が躁鬱を患っていることをカミングアウトしたがそれを理由にしたらダメだよ、と言われなんだか寂しい気持ちとともに理解されることの難しさを悟ったちなみにその友達とは今もふつうに仲がいいよ結局不安をかかえつつもなんとか仕事は楽しみながらやりきることができたが予備エネルギーまで使い果たしてしまいそれ以後の悪化のきっかけになったかもしれないとは思うでも大学のいい思い出 楽しかった やってよかったと思ってる冬に東京にふらふら行った躁と鬱と半分ずつかかえながら行ったような気持ちだいすきな作家の展示を見てはじめて人の展示で心の底から涙したとりくみつづけることは心を打つと知る●3年め休学してた間に貯めたお金で下宿するしかし意気揚々としていたのは下宿するまで!であって、下宿生活を始めたころにはすでに息切れ・エネルギーの赤ランプが点滅状態、であったのに気付けずにそこで休養なるものも取れず、新しい生活が始まるわ・学校にも復学するわで自分では今度こそと思っていても無意識下ではどんどん無理を重ねることとなりましたという状態どつぼです渦中ではなにも見えないのがこの病気が治りにくい理由でしょうねそもそもこの年は躁鬱の波がものすごく激しい年であった夏に完全にエネルギーが切れて、鬱転。ベッドから動けない状態がしばらく続く不安感とともにODや自傷がひどくなっていった一人暮らしだったから特に自傷がひどくなったかれしがきたら帰るとき毎回帰ってくれるなとギャン泣き何に対してかわからないが こわい ばかり言っていたほんとうに こわい ばかりを言っていた秋に再び躁転し冬は躁まっさかりこの時は夜遊びが激しく、真夜中に25キロほど離れた場所まで自転車で出かけてゆき、冬に朝まで野外で遊び倒すというものであった躁でしか出来得ない行動ではあるその一方で普段の生活の中ではひどく対人に関する恐怖の気持ちが強くなっていった学校にいくとますます息苦しくなった人がこわかったでも暗い気持ちの一方で夜になると自棄のように自転車を飛ばした払拭するかのように真夜中は暗くてこんなわたしにも優しいですそんな中友人が自殺したりしてもう無茶苦茶で今思えば逆にそのときにハイで良かったと思うときもあるそれからしばらくはすべてのベクトルの感情がそれぞれ振り切れている状態ですごしていた300%ぐらいで笑ったり泣いたりイライラしたり沈んだりしていた毎日を疾走していた感覚がものすごいきちがいとはああいう疾走のことだきっと年明け頃にこれから自分はどうしたらいいんだろうという現実的な思いに少しずつかられ出すダウナーな躁、と私が呼んでいる状態これは躁ではあるもののアッパーで破滅的な行動に出るのではなく、自分自身をどうにかしたいと内省的な行動にのめりこむ状態の躁である聞こえはいいが、これも躁状態であるのには変わりはなく、とりあえず考えがラジカルで、自分の問題を解決することだけにすべてのエネルギーを費やすような引きこもりハイ自分も自身の抱える問題をどうにかしないといつか気が狂ってしまったりどうしようもなくなったりするんじゃないだろうか、という不安からとりあえず自分の問題について徹底的に分析しまくる期間が続く毎晩、近くの24時間営業のマクドナルドまで自転車を走らせ、そこで朝まで自分の問題を紙に書きなぐるという行為をひたすらしていた朝に家に帰ってからもひたすら机に向かい、昼前から夕方まで眠ってまた夜になればマクドで紙にかきつける今でこそ自分のスタイルとなっているが、自分の問題や正直な気持ちをきちんと文字にして書き起こすというのはそれだけでとてもしんどい作業であり、とくに自分の正直な気持ちをかたちにしようと「思っているのに」いざ紙にかこうとすると「まったく筆が動かない」のをとりあえず無理矢理出力するのを毎日していた少し書いたように、自分の欲求に素直に従えないこわばった体を持っているわたしなのですごく難しい作業だった問題に向き合う以前に頭の中の思考と筆先を一致させるだけでもずいぶんと時間をついやしたように思うとりあえずそれができるまでは、単純に頭の中の話し言葉を「そのまま」書ける練習をずっとしていたそれができるようになってからは自分の苦しみや問題を書起す作業に入ったのだけれども、過去のすべてのつらい気持ちと向き合わざるをえないので、家などではずっと泣きながら作業していたはいずるように書いたような気がする逆にあれだけ自分を奮い立たせていたものは果たしてなんだったのだろうと思うほんとうにこのままじゃ何も解決しないと思ったのだろう自分の精神の分析、自分のそれまで抱えていた親子間のしんどい気持ち、ファイル一冊分細かい文字でびっしりうめつくし、それを前触れもなく実家に送りつけたさぞかし両親はびっくりしたことでしょう今そのファイルは本棚にささっているがなんとなく恐怖心で見ることができないやり方も考え方もぶっとんでいたことには間違いがないが、あれでそれまでの問題にはとりあえず自分自身で気持ちにけりをつけられた気がするそれは以後の気持ちの安定にはおおいに貢献したように思う●4年目去年度で果てたように休学する今度は思い切って1年間休学いつだって休学と復学は計画的ではなく、もう無理と畳み掛けるように為されていたので、通常みなさんだったらこうするであろう・休学の少しまえから担当の先生に相談する・などのことも全くすることはなかったこれもよく考えれば異常事態であるこの年にやっと今の病院に通い出し、治療スタイルも病気に関する考え方も少しずつ固まってきたように思う昨冬に自分の問題を文字に書き起す経験をしたので、それまでと違ってより理路整然と自分の症状を病院で述べられるようになったのも良かったのかもしれない良い先生で比較的自分の症状を話せるようにやっとなった気分のしんどさを言えるようになった やっと何がいいほうに向かうかわからない本気でどうにかしたいと思い始めたのは実際このぐらいからなのかもしれないヨガ教室にかよったりもしたけどまだ四苦八苦状態は続く自分のやりたいこともわからない自分はどこに魂があるのかわからないし病院の紹介でもうひとつ大きな病院に通っていた生活リズムをなおしたくって、睡眠専門の外来にかよったでもそこの医者がわたしが躁鬱なのをすっかり忘れていて禁忌の眠剤を出していたその眠剤を素直に飲んで寝る前にラリる生活がしばらく存在していた夜には幻覚を見ていた幻覚を見てはそれを日記に書いていたでも気分はいいので眠剤で気分がたすかることを覚えたずっと続いていた日記を書く習慣が神経症的になりだしたのはこの頃からことこまかに曖昧な記述をやめて文字を書き付けているだけが幸せ日記を書くことで自分をどないかしようとするようになっていったやっぱりずっとバイトしていた外出先と家とでまるで別人のようになるのはずっとずっとひどくなっていた接客の経験をつんでどんなときでも明るい人に化ける技術ばかり巧くなったそれは同時に自分の首もしめることでもあるでも一度社会的にうまくやってゆける方法を学んだしまったから嗜好品の中毒みたいにそれに頼って生きていくしかないから私の身体はそれをし続ける学校の友達にも2人をのぞいて病気のことなどまるで話していなかったので、友達には「ちょっとまた休学するねん~」とへらへらしてお茶をにごしていた敏感な人はなんかわたしが健康的に問題があると気付いていただろうがそこは女子的優しさという放置で何も聞かれずにスルーというよりもわたしが本心を見せないのを気付かれていたように思う本心を見せないからあえてそこを探ろうという気にも相手もならないんだろうな学校の友達は今年で卒業だからそれを端からみているわたしすこしずつ自分らの夢をかたちにしていく友達をみてひとり焦っていたでも焦る気持ちを素直に出したりはできずへらへらしていた卒業式では皆の晴れ姿をひたすら自分のために写真におさめたどの友達もかわいくってきれいでだいすきだった●5年目1年の休学を経てまんをじして復学、と行けばよいものの結局もうこの頃からはその時の大学でしていた勉強が自分にとっては絶対重要なものではなくなっていることに気付いていて復学したのはとりあえず学士号がほしいから、ではあったものの勉強はたのしいけど気持ちはそぞろで何か他のことを今からやり直すのも手だぞという考えに至っていろいろ自分のやりたいことを考え挙げてはネットなどでどうやればその勉強ができるかを調べていた時代であるでも今となってはすごくそれをしていて良かったかもしれないと思うとりあえず自分の気持ちに素直になって、今やっていることに執着せずにもう一度自分の進路について考えることができたし、やりたいことそれぞれもより具体的に調べることによって自分に向いてるのかとか熱意があるのかとかをじっくり考えることができたはじめて自分が心から何がすきで何をやりたくて何をしていれば幸せか意識的になったそのためならあらゆる行動ができるような気がしたそれと同時に大学のゼミなどが苦しみ以外の何物でもないものに変わったでもそれでも、2度目の復学のあと、しばらく同じ専攻の院生らの勉強会に参加してた時期があってあのときはなんだか楽しかったなー結果すぐ学校辞めたけれどもすごく気持ちが充ちていたわずかながらそんな時間もあった人がこわいけど人がすきなの結局後半3回めの復学もう休学のコマは全部使い果たしたのであとはないさてどうするかと考えたときにやはり見栄やゼロ地点で考えたときに自分がすきだ、自分にできることがこれだ、と思ったことがあって、それは実際今2つめの大学で勉強していることで、もういっそやり直そうと思って今の学校で勉強しよう!と決めたのはいいけれども家のお金の問題もあるから自分で学費を出さなければいけない・健康面での不安・などあって、結局入学するかどうかを延々と冬まで考え続けていた腰が重いなあと思う下調べはたくさんするのだけれどもいざ行動となったらやっぱり恐怖感が顔を出すそれに今まであたらしいことをやってはダメの繰り返しを続けてきたので余計チャレンジ精神はこわばって、ここで失敗したらもう年齢的にもダメだという追いつめられた気持ちも相まって自由な素直な気持ちになれていなかったとにかく次に大学に行き直すにしろ、自分で学費を捻出しなければならないので、とにかくお金がいるんだなとそれだけに躍起になってアルバイトばかりしたいつだって自分のちからでなんとかしなくちゃいけないと思い込んでばかりいる学校のことや人生のことやお金のことやいろいろに加えて元気なふりをしなくてはならない場所、すなわち勤務先にいる時間がやたら増えたのでODの鬼みたいになっていた薬だけで生きていたその時はこういうふうな因果関係も何も考えられたものではなくてただしんどさと生活があってそれをやりすごすためにODをしていた薬の過剰摂取による神経の麻痺だけで働いていた特に今にはじまったことではないが恋人にしんどさを告げることはあれどもそれはメールであってしんどいことをだだ漏れにできるのはただただ、自分の部屋にひとりになったときのみであったしんどいときのわたしの方法はただ部屋で惨めに泣くだけであるたまに過呼吸になったりしながら学費を貯めなければならないという気持ちから夏からふたつアルバイトを掛け持ちしていたのがストレスとなって体にあらわれて、胃潰瘍になった人間疲れたら胃に穴があくのだなーと思ったでもどこか救われた気がした今まで自分はどんなにしんどい苦しい時も過呼吸にもなれず苦しそうな顔ひとつできず、まわりの人に何も気付かれないようにへらへら笑ってばかりしかできない人間だったので、ああこうやって身体にあらわすことができるのは幸せだなあと思った胃潰瘍になったら皆がとても心配してくれて優しいので余計そう思ったこんなに心配してくれるのだったら今までの過去のしんどいときに表面では笑って過ごして家ではしんどさを処理できずにODや自傷していたようなことも、みんな本当のことを知ったらこんなふうに心配してくれたのかなあと思ったらなんだか悔しいと同時にどこかで何かよくわからんものに対してざまあみろと思った胃潰瘍になったら心から安らかになれた という皮肉とりあえずもう卒業できない・しないというのだけは確かであって、こんなふうだったのでろくに相談も挨拶も正式にできないまま郵送のやりとりだけでバタバタと静かに退学した体調がまったく回復しなかったので今の学校に春から入学するはずなのを見送った笑ってしまうぐらい大きく体調を崩していたので退学も入学やめるのもなんでもすればいいやないかという投げやりで笑いたくなる気持ち手元に余ったお金はなんとなく悔しい思いがして、学校とは関係ない高い買い物を現金一括で支払ったその買い物が、辞めた大学の勉強とすごく関係あったものだったというのは皮肉なのでしょうか●空白の1年入学するはずだったのに入学をのがした空白の1年である本当にぎりぎりまでどうするか迷ってやめたので拍子抜けであるそもそもバイト先や友達にも無論中退したことなど言えるはずもなく、今どうしてるか言う必要のある人たちには通信制の大学に乗り換えたんだよと入学したつもりで言ってみたり編入したことにしたりしていたこのころはまだ中退したことが自分の中でとてつもなくひどいコンプレックスとなっており、偽の人生を生きたやることもないのでやっぱり働いてばかりいたのかもしれないこれからの勉強体制を整える意味でもいろいろ考慮して働く環境も整えた方がよかったのだろうが、そんなことをゆっくり考えるひまもなく次のシフトを決める日が繰り返しやってくるような状態だった現状を維持している方が現状を変化させるよりエネルギー少なくてすむしバイト先ではやたら明るくて社交的な性格で通していたのでやはり引き続き見えないストレスをつくっていたのだろうか、個人が影響するアルバイトだったしいつだって先のことを真剣に考えることよりも現状をどうにかしようという方を優先させる癖をなおしきっていないのは問題なのだと思う身体的なレベルでそういうくせがある人前でにこにこしているのもそういうところに因るものなのだし神経症がひどくなったどうでもいいことにエネルギーをそそぎこんで自分でもおかしい、やめたいと思いながらやめられないようなよりひどい神経症にレベルアップしたそのときはかばんの中を整理整頓することに躍起になって整理するポーチをこれでもかという程買った縫製がゆがんでいる(かすかに・見た目ふつう)という理由で同じポーチも何個も買い直したりしたそしてそこにかばんの中身を詰め替えてはまた出してすこし気にいらなかったら全部出してまた違うふうにいれてまたポーチをかえてみて気に入らずにまたかえての繰り返しあほとわかっていてもやめられないこの話をした人からは全員からビョーキだよあんたと言われたさすがにやばいと思ったその他の神経症もなんだかひどくなっていった外出前に発狂しそうになるのもひどくなったそして退学したり体調を崩したときの気疲れから一気にひどく躁転した胃が治ってからはやはりODする癖は復活した仕事先から帰ったら帰ったで溜まったストレス(もストレスだと思えていない)をどうにもできないのでしんどさを忘れたくてまたODした夜中にお酒で薬をたくさん流し込んでらくちんになる癖がついてしまった当然くすりがたりないので家族などにばれないように一時期はくすりを個人で輸入していた夜に自分の部屋にお酒を持ち込む癖もついたハイになって完全にこの頃はお酒に頼った生活をしていたお酒さえ飲めばどうにかなったから飲酒しては友達に電話したり遊び倒したりしていた自暴自棄のレベルである「自分を使用」していた胸まで伸ばしていた髪をちょっきんなーと切ってサイドを刈り上げたりした結構高いヘアサロンに頻繁に通ったりしためかして友達とあそんで酔っぱらうことばかりだった今から思えばむっちゃハイで酷いよくアル中にならなかったと思うそんなふうに自分を自分で使っていた危うく思いながらハイになって暮らすのにはどこかスリルのような気持ちがある末期のハイはどこか危ういながらもわたしを魅力的にすらするのだろうなんかいろんな人と飲み遊んだ年だった自分の若さを発揮していた大晦日に高校のときの友達とあそんだ高校には執着心があるわたしであるそれは、高校もっと楽しみたかったのに、あんな人間じゃなかったのにそんな高校生活ができなかったという悔しさからくるものである高校のときの友達とあそべるというそれだけで泣いてしまいそうになる特別な気持ちが存在するなんでこんなふうに思うのかはわからないけれども高校の時はなんでもかんでもうまく言えないつらさをどうにもできなくて友達にもうまく対応できなかったのでそれが今こうして遊べるじゃないかと思うとやりきれない思いがあるすごくたのしかった そのまま初詣にもいったそれですべてのエネルギーを使い果たしたかのようにそれで目的を果たしたかのように次の日から鬱転した笑える 元旦から鬱転体調も崩し 今までで一番ひどい鬱にみまわれたまるまる2ヶ月ベッドから起き上がれないような暮らしを体験した寝る・トイレ・食べる の繰り返しだけがそこに在った 笑えるなんかもう全てがどうでもいいと思えたああ自分てほんまに病気なんやなと思ったかろうじて春までに動けるだけの力をとりもどし今度こそはと願書をとりよせて今の学校に入学したそれでも動き出すのがおそかったから本当にぎりぎりの日に願書を出したおかげで教材が届いたりするのも遅くなり勉強をスタートさせるのがひどく遅れてしまったそれでもどこかでああここまで自分は沈んだのだからというへんな開き直りがあった URL Comment(0)Trackback(0)Edit
鬼気迫る整理 Day:2012.05.13 02:54 Cat:今日の体調 いつもは頭のはたらきが悪いなあと嘆いているのになんだかふとしたときにスイッチが入るときがある。大抵それは夜の11時から3時ぐらいまでの間にやってくる。生活リズムからそうなってしまっているのかもしれない。今日は1時くらいからものを処分することを思いつき、自分としては気でもくるったかと思うぐらいにいろんなものを捨てた。あるいは売る用に準備した。逞しい集中力であった。真の集中とは集中していることも忘れるものだけどなかなかそういう時間はやってこないのでひさしぶり。集中できる・できないの法則があるのならば知りたい。。。物を捨てていて思う。前の大学の資料を整理していた。あー今ならめっさおもしろく勉強できるのにとか思うのだけれどもね。あの時代は頭がとじていたのだと思う。明確にそう思う。 URL Comment(0)Trackback(0)Edit