症状を振り返る 〜大学編〜

自分の症状を振り返るべく書き連ねる
中学編・高校編(1)(2)のつづきです


大学では計3回休学し結局中退せざるをえなくなる







自分の専攻は5人にも満たない小さなところであった

電車とバスを経る片道1時間半の通学になった

同じように朝は起きられなかった

とりあえず水たまりのような高校生活をギリギリでも無事終えたというそれだけで私のまわりの人たちは安心した

特殊な大学に受かったわりに

特に目標もなく大学生になった





●1年目


ほぼ高校の続編のような一年間であった


自分の性質や気をつけるべきことをふまえないままに大学生になった

同じ勉強をする人が少ないのもあり完全に情報不足の中で相談相手も作れずに問題に対処できずに、やっぱり学校てすごくすごく苦手だと何となくおもうままに単位をごっそり落とす

これがつまづきの始まりである
対人恐怖を把握できていれば、なんとかできたかもしれない

大学になってたぶん神経症がもっと悪化した。
大学の人のあり方って対人恐怖がある人には絶対つらいと思う。

専攻の縦の関係の中でもっと交遊していれば救いようがあったのかもしれないと思う

自分の勉強していることは好きだけれども自分の学部の雰囲気は大っ嫌いだったので
違う学部の子と遊んでばかりいた


大学生になると行動範囲も広くなる、高校のときからの、早くもっと幅広く遊びたい心が余計それを助長させました


神経症的不安の発動を飲酒で吹き飛ばすという方法を覚えてからは、飲酒さえすればどこでも、わたしが恐怖を感じるような、あまり親しくない人とも楽しく過ごすことができるというのを利用するようになったからお酒の場である限りは気が楽だったりした



専門性が高い大学に進んだわりには
本当にやりたいことについて熟考した結果の進路というよりは、体調がわるいなかでそれなりに興味があって自分の特技を生かしてなおかつ少ない科目で受験できる、という、高校のときの現実問題への対応だけで考えたような進路であったので、入ったときからもうすでになんで私はこんなところにいるんだろう、という気持ちはどことなく存在していた
具体的にそれを勉強してその先どうしたいということも想像することができなかった
でもそれを思ったら自分を否定することになるのではっきり思うことができず学校以外で遊ぶことによって逃避していたのだと思う
しかも運悪く知識だけは豊富であり、入学したときのまわりの子の無知さ加減に呆れ果てて余計やる気をなくした
これから勉強する子は無知だったかもしれないがわたしよりはモチベーションも高かったろうし目標もあっただろうに、入学したときの一見したおもんなさにずるずる引きずられてしまったところもあるのかもしれない
自分は精神の成長にひどくばらつきがある人間だと思う
ひどく大人びたところとひどく幼稚なところが混在している

今でもこのとき勉強していた内容はすごくおもしろいと思うし、もったいないなーとは思うけれども、そのまま勉強できていたとしてもずっと心にはわだかまりのようなものは残っていたんだとは思うよ


※ 追記

あとから考えたのだけれども、やっぱり私はこの学校の自分の選んだ勉強、好きだった。
でもできなかった。
どうしていいかわからなかった。ぜんぶが曖昧だった。
学校のシステムがもう少しよくて、あとメンタルヘルスにおけるバックアップが整っていれば、残留できたと思っている。
自分のあかんかったことは、目標がなかったこと。
勉強はだいすき。でも大学でたあとのイメージがわかない。
だから自分にとってどの勉強が必要かがわからない。
興味は山のようにある。溢れてくる。
次から次へ、興味のあることに手をつけるけれども、すべき取捨選択ができていなかった。
それも全部病気のなせる技というか。
でもやっぱり学校がこわい→行かない→ついていけないというのがでかかったな。
もう一度いうと、この勉強も、大学も、すきだった。
そう入れるところでもなかったし、特殊だし、おもしろかったし、
自分の大学、だいすきだった。
めっちゃすきやった。
辞めたくなかった。
「わたしは健康上の理由により退学した」








高校のときみたいに学校以外でたくさん遊んだ
学部の人たちのつまらなさに当てつけるように特殊な環境であそんだ
高校から引き続いていた音楽趣味を加速させて、そういうイベントをやる方にかかわるようになっていった
自分はなにもうみだしていないのに 実際に音楽をつくる人たちと関わるようになったことで自分がなにかできているような錯覚に溺れた
溺れているのは自分だったが そのことをわかっているだけに
同じような遊びをしてる、自分と同じ立場の人たちを心の中で何もしてないくせにと批判していた
ほんとうに何もできないのは自分であった

でもそこに関わっているのだけは当時は数すくないアイデンティティーであった
すこし自分がえらくなったような気がしていた

自分もなんかできる人間になりたいとずっと思っていた
思っていてできないから やってる人と親しくなることだけが生き甲斐のような
さみしい自己実現
なんども挑戦するけど、神経症が顔を出す
なんどもなんども打ち拉がれる




この年に今の恋人と付き合いだした
社会に発生する病理の勉強をしてた人なのでいろいろ基本の理解があった
ほぼそのまま自分の気持ちを言うことができる人間ができたことは
自分のしんどさを肯定してくれる安心感の獲得であり
同時にじぶんを客観的に見る人間ができたことでもあり
これ以降少しずつ亀の歩みではあるが低い自己評価と自分を貶める癖をなおしてゆく
振り返ればよくこんな無茶苦茶なわたしをずっと諦めずに見てくれているなあと思う
感謝している





はっきりとは覚えていないが
この頃、躁鬱という判断をなされたような気がする
デパケンをずっと飲んでいた
リーマスは飲んでいなかった
躁鬱の観察がいまでこそできるけど当時は自分の何が躁で何が鬱かさえも全然わかっていなかった







●2年目

休学という方法を知ってひたすらに休学したいと思い
後期休学する
そもそも自分の体のことだけを考えて休学すればよかったものの
まだ自分の病理について客観視することができなかったからおかしな結論に至った

その当時は
一人暮らしをすれば朝も早く起きなくていいしバスにも乗らなくていいし
学校に近いところに下宿すれば「授業に出れない」のは解決するのではないか?という考えであった
生活を自立させたら気持ちもかわるのではないか?という考えであった
授業時の人間空間が苦手であること・つまり対人恐怖の神経症に気付けなかった
とりあえず下宿したらなんとなく環境もかわって学校にいけるんじゃないか、と希望をつくりあげていた

このころは自分の行動もなんだかばらばらで
何がやりたいとか何を軸にするとかそういうのが全くできなくて
でもそれにすら気付けていなくてただやりたいことを追っかけるぐらいしかできなかったように思う

気持ちが自由にならず行動にうつせないことをずっと気に病んでいた
このころからしっかりと心はかたくなで
自分がやりたいことがあるのにいざやろうとしても体が動かない、という問題にずっと悩まされていた
それを解決したいと強く思っていた
やりたいことを、はやくとりあえずやってみなくちゃ、やってみたいけどどれもやってみようとするとこわばって何もできない、悲しい
という悪循環にみまわれていた
それで余計焦っていろんなものに手を出していた感じ

それだけが頭にあってひたすら休学中はバイトばかりしていた
今思えばあれはたぶん軽い躁だったんじゃないかとさえ思える
下宿した夏ぐらいまでこの感じが続くこととなる

休学してバイトする癖がなんとなくついてしまった
バイト先と学校とプライベートと引き裂かれてしまって余計生活をダメにしたところがあることは否めない
それ以降この3つの世界がわたしに存在した
完全に棲み分けをしていたから3人別人がいるような感じで生きていた
モードを切り替えることは躁鬱だとか神経症の人にはきっとすごくよくないことだろう
何かを抑えて何かを表出させるの繰り返しだから
まさに引き裂かれて、どんどん自分同士が離れていった
接客ばかりしていたからそれも神経症をひどくする原因になった
はたらいている間にこにこして過ごすことは自分のしんどさを出せなくすることばかりを助長した
しんどいときも笑顔でやり過ごすのは何もかもかくす
自分でもしんどさをコントロールできなくなる
じぶんさえも騙す
これだけ平気に暮らしているのだからと思っているうちにどんどん影ではストレスや疲労が蓄積されてもう本当はぼろぼろなのに
にこにこできることは自分にたいしてつらい仕打ちだ



去年に引き続き音楽イベントの手伝いをしていた
家から離れているのにはいい予定になった
みんなの中にいるとしんどさなどのことを忘れておれた
でもそれでもどこかその中に混じるのをしんどく感じる自分もいたがそれは自分自身で無視して黙らせていた
みんなと準備をするのは楽しいが恋人と二人になるとわたし自身の普段は隠しているしんどさまでダムのように放流されこの頃はしんどいなあと呟くしかないような日々



後期休学していたし、イベントの手伝いをしていたにも関わらず大学の学祭の委員としていろいろしていた
実はこのとき結構調子が右肩下がりであったりしてしんどくなり始めだったので、楽しい中でもどこか毎日がどんどん重たくぶらさがるようになってきた
自分の部署の委員長をしてた友達に一度、学校の友達では初めて、自分が躁鬱を患っていることをカミングアウトしたが
それを理由にしたらダメだよ、と言われ
なんだか寂しい気持ちとともに理解されることの難しさを悟った
ちなみにその友達とは今もふつうに仲がいいよ
結局不安をかかえつつもなんとか仕事は楽しみながらやりきることができたが
予備エネルギーまで使い果たしてしまいそれ以後の悪化のきっかけになったかもしれないとは思う
でも大学のいい思い出 楽しかった やってよかったと思ってる




冬に東京にふらふら行った
躁と鬱と半分ずつかかえながら行ったような気持ち
だいすきな作家の展示を見てはじめて人の展示で心の底から涙した
とりくみつづけることは心を打つと知る




●3年め

休学してた間に貯めたお金で下宿する
しかし意気揚々としていたのは下宿するまで!であって、下宿生活を始めたころにはすでに息切れ・エネルギーの赤ランプが点滅状態、であったのに気付けずにそこで休養なるものも取れず、新しい生活が始まるわ・学校にも復学するわで自分では今度こそと思っていても無意識下ではどんどん無理を重ねることとなりました
という状態

どつぼです
渦中ではなにも見えないのがこの病気が治りにくい理由でしょうね


そもそもこの年は躁鬱の波がものすごく激しい年であった


夏に完全にエネルギーが切れて、鬱転。ベッドから動けない状態がしばらく続く
不安感とともにODや自傷がひどくなっていった
一人暮らしだったから特に自傷がひどくなった
かれしがきたら帰るとき毎回帰ってくれるなとギャン泣き
何に対してかわからないが こわい ばかり言っていた
ほんとうに こわい ばかりを言っていた


秋に再び躁転し
冬は躁まっさかり
この時は夜遊びが激しく、真夜中に25キロほど離れた場所まで自転車で出かけてゆき、冬に朝まで野外で遊び倒すというものであった
躁でしか出来得ない行動ではある

その一方で普段の生活の中ではひどく対人に関する恐怖の気持ちが強くなっていった
学校にいくとますます息苦しくなった
人がこわかった
でも暗い気持ちの一方で夜になると自棄のように自転車を飛ばした
払拭するかのように
真夜中は暗くてこんなわたしにも優しいです

そんな中友人が自殺したりしてもう無茶苦茶で
今思えば逆にそのときにハイで良かったと思うときもある

それからしばらくは
すべてのベクトルの感情がそれぞれ振り切れている状態ですごしていた
300%ぐらいで笑ったり泣いたりイライラしたり沈んだりしていた
毎日を疾走していた感覚がものすごい
きちがいとはああいう疾走のことだきっと


年明け頃にこれから自分はどうしたらいいんだろうという現実的な思いに少しずつかられ出す

ダウナーな躁、と私が呼んでいる状態
これは躁ではあるもののアッパーで破滅的な行動に出るのではなく、
自分自身をどうにかしたいと内省的な行動にのめりこむ状態の躁である
聞こえはいいが、これも躁状態であるのには変わりはなく、
とりあえず考えがラジカルで、自分の問題を解決することだけにすべてのエネルギーを費やすような引きこもりハイ

自分も自身の抱える問題をどうにかしないといつか気が狂ってしまったりどうしようもなくなったりするんじゃないだろうか、という不安から
とりあえず自分の問題について徹底的に分析しまくる期間が続く

毎晩、近くの24時間営業のマクドナルドまで自転車を走らせ、そこで朝まで自分の問題を紙に書きなぐるという行為をひたすらしていた
朝に家に帰ってからもひたすら机に向かい、昼前から夕方まで眠ってまた夜になればマクドで紙にかきつける

今でこそ自分のスタイルとなっているが、
自分の問題や正直な気持ちをきちんと文字にして書き起こすというのはそれだけでとてもしんどい作業であり、とくに自分の正直な気持ちをかたちにしようと「思っているのに」いざ紙にかこうとすると「まったく筆が動かない」のをとりあえず無理矢理出力するのを毎日していた

少し書いたように、自分の欲求に素直に従えないこわばった体を持っているわたしなのですごく難しい作業だった
問題に向き合う以前に頭の中の思考と筆先を一致させるだけでもずいぶんと時間をついやしたように思う
とりあえずそれができるまでは、単純に頭の中の話し言葉を「そのまま」書ける練習をずっとしていた
それができるようになってからは自分の苦しみや問題を書起す作業に入ったのだけれども、
過去のすべてのつらい気持ちと向き合わざるをえないので、家などではずっと泣きながら作業していた
はいずるように書いたような気がする

逆にあれだけ自分を奮い立たせていたものは果たしてなんだったのだろうと思う
ほんとうにこのままじゃ何も解決しないと思ったのだろう

自分の精神の分析、自分のそれまで抱えていた親子間のしんどい気持ち、
ファイル一冊分細かい文字でびっしりうめつくし、それを前触れもなく実家に送りつけた
さぞかし両親はびっくりしたことでしょう

今そのファイルは本棚にささっているがなんとなく恐怖心で見ることができない

やり方も考え方もぶっとんでいたことには間違いがないが、
あれでそれまでの問題にはとりあえず自分自身で気持ちにけりをつけられた気がする
それは以後の気持ちの安定にはおおいに貢献したように思う






●4年目

去年度で果てたように休学する
今度は思い切って1年間休学
いつだって休学と復学は計画的ではなく、もう無理と畳み掛けるように為されていたので、通常みなさんだったらこうするであろう・休学の少しまえから担当の先生に相談する・などのことも全くすることはなかった

これもよく考えれば異常事態である


この年にやっと今の病院に通い出し、治療スタイルも病気に関する考え方も少しずつ固まってきたように思う
昨冬に自分の問題を文字に書き起す経験をしたので、それまでと違ってより理路整然と自分の症状を病院で述べられるようになったのも良かったのかもしれない
良い先生で比較的自分の症状を話せるようにやっとなった
気分のしんどさを言えるようになった やっと
何がいいほうに向かうかわからない
本気でどうにかしたいと思い始めたのは実際このぐらいからなのかもしれない
ヨガ教室にかよったりもした

けどまだ四苦八苦状態は続く
自分のやりたいこともわからない
自分はどこに魂があるのかわからないし


病院の紹介でもうひとつ大きな病院に通っていた
生活リズムをなおしたくって、睡眠専門の外来にかよった
でもそこの医者がわたしが躁鬱なのをすっかり忘れていて禁忌の眠剤を出していた
その眠剤を素直に飲んで寝る前にラリる生活がしばらく存在していた
夜には幻覚を見ていた
幻覚を見てはそれを日記に書いていた
でも気分はいいので眠剤で気分がたすかることを覚えた


ずっと続いていた日記を書く習慣が神経症的になりだしたのはこの頃から
ことこまかに
曖昧な記述をやめて
文字を書き付けているだけが幸せ
日記を書くことで自分をどないかしようとするようになっていった



やっぱりずっとバイトしていた
外出先と家とでまるで別人のようになるのはずっとずっとひどくなっていた
接客の経験をつんでどんなときでも明るい人に化ける技術ばかり巧くなった
それは同時に自分の首もしめることでもある
でも一度社会的にうまくやってゆける方法を学んだしまったから嗜好品の中毒みたいにそれに頼って生きていくしかないから私の身体はそれをし続ける



学校の友達にも2人をのぞいて病気のことなどまるで話していなかったので、友達には「ちょっとまた休学するねん~」とへらへらしてお茶をにごしていた
敏感な人はなんかわたしが健康的に問題があると気付いていただろうがそこは女子的優しさという放置で何も聞かれずにスルー
というよりもわたしが本心を見せないのを気付かれていたように思う
本心を見せないからあえてそこを探ろうという気にも相手もならないんだろうな

学校の友達は今年で卒業だからそれを端からみているわたし
すこしずつ自分らの夢をかたちにしていく友達をみてひとり焦っていた
でも焦る気持ちを素直に出したりはできずへらへらしていた

卒業式では皆の晴れ姿をひたすら自分のために写真におさめた
どの友達もかわいくってきれいでだいすきだった






●5年目



1年の休学を経てまんをじして復学、と行けばよいものの

結局もうこの頃からはその時の大学でしていた勉強が自分にとっては絶対重要なものではなくなっていることに気付いていて
復学したのはとりあえず学士号がほしいから、ではあったものの
勉強はたのしいけど気持ちはそぞろで
何か他のことを今からやり直すのも手だぞという考えに至って
いろいろ自分のやりたいことを考え挙げてはネットなどでどうやればその勉強ができるかを調べていた時代である

でも今となってはすごくそれをしていて良かったかもしれないと思う
とりあえず自分の気持ちに素直になって、今やっていることに執着せずにもう一度自分の進路について考えることができたし、やりたいことそれぞれもより具体的に調べることによって自分に向いてるのかとか熱意があるのかとかをじっくり考えることができた

はじめて自分が心から何がすきで何をやりたくて何をしていれば幸せか意識的になった
そのためならあらゆる行動ができるような気がした


それと同時に大学のゼミなどが苦しみ以外の何物でもないものに変わった


でもそれでも、2度目の復学のあと、しばらく同じ専攻の院生らの勉強会に参加してた時期があってあのときはなんだか楽しかったなー
結果すぐ学校辞めたけれども
すごく気持ちが充ちていた
わずかながらそんな時間もあった

人がこわいけど人がすきなの




結局後半3回めの復学
もう休学のコマは全部使い果たしたのであとはない

さてどうするか
と考えたときにやはり
見栄や
ゼロ地点で考えたときに
自分がすきだ、自分にできることがこれだ、と思ったことがあって、それは実際今2つめの大学で勉強していることで、もういっそやり直そうと思って今の学校で勉強しよう!と決めたのはいいけれども
家のお金の問題もあるから自分で学費を出さなければいけない・健康面での不安・などあって、結局入学するかどうかを延々と冬まで考え続けていた
腰が重いなあと思う
下調べはたくさんするのだけれどもいざ行動となったらやっぱり恐怖感が顔を出す

それに今まであたらしいことをやってはダメの繰り返しを続けてきたので余計チャレンジ精神はこわばって、ここで失敗したらもう年齢的にもダメだという追いつめられた気持ちも相まって自由な素直な気持ちになれていなかった



とにかく次に大学に行き直すにしろ、自分で学費を捻出しなければならないので、とにかくお金がいるんだなとそれだけに躍起になってアルバイトばかりした
いつだって自分のちからでなんとかしなくちゃいけないと思い込んでばかりいる
学校のことや人生のことやお金のことやいろいろ
に加えて
元気なふりをしなくてはならない場所、すなわち勤務先にいる時間がやたら増えたので
ODの鬼みたいになっていた
薬だけで生きていた
その時はこういうふうな因果関係も何も考えられたものではなくて
ただしんどさと生活があってそれをやりすごすためにODをしていた
薬の過剰摂取による神経の麻痺だけで働いていた



特に今にはじまったことではないが

恋人にしんどさを告げることはあれどもそれはメールであって
しんどいことをだだ漏れにできるのはただただ、自分の部屋にひとりになったときのみであった

しんどいときのわたしの方法はただ部屋で惨めに泣くだけである
たまに過呼吸になったりしながら



学費を貯めなければならないという気持ちから夏からふたつアルバイトを掛け持ちしていたのがストレスとなって体にあらわれて、胃潰瘍になった
人間疲れたら胃に穴があくのだなーと思った
でもどこか救われた気がした
今まで自分はどんなにしんどい苦しい時も過呼吸にもなれず苦しそうな顔ひとつできず、まわりの人に何も気付かれないようにへらへら笑ってばかりしかできない人間だったので、ああこうやって身体にあらわすことができるのは幸せだなあと思った
胃潰瘍になったら皆がとても心配してくれて優しいので余計そう思った
こんなに心配してくれるのだったら今までの過去のしんどいときに表面では笑って過ごして家ではしんどさを処理できずにODや自傷していたようなことも、みんな本当のことを知ったらこんなふうに心配してくれたのかなあと思ったらなんだか悔しいと同時にどこかで何かよくわからんものに対してざまあみろと思った
胃潰瘍になったら心から安らかになれた という皮肉

とりあえずもう卒業できない・しないというのだけは確かであって、
こんなふうだったので
ろくに相談も挨拶も正式にできないまま郵送のやりとりだけでバタバタと静かに退学した
体調がまったく回復しなかったので今の学校に春から入学するはずなのを見送った

笑ってしまうぐらい大きく体調を崩していたので
退学も入学やめるのもなんでもすればいいやないかという投げやりで笑いたくなる気持ち


手元に余ったお金はなんとなく悔しい思いがして、学校とは関係ない高い買い物を現金一括で支払った
その買い物が、辞めた大学の勉強とすごく関係あったものだったというのは皮肉なのでしょうか







●空白の1年


入学するはずだったのに入学をのがした空白の1年である
本当にぎりぎりまでどうするか迷ってやめたので拍子抜けである


そもそもバイト先や友達にも無論中退したことなど言えるはずもなく、
今どうしてるか言う必要のある人たちには通信制の大学に乗り換えたんだよと入学したつもりで言ってみたり編入したことにしたりしていた
このころはまだ中退したことが自分の中でとてつもなくひどいコンプレックスとなっており、偽の人生を生きた



やることもないのでやっぱり働いてばかりいたのかもしれない
これからの勉強体制を整える意味でもいろいろ考慮して働く環境も整えた方がよかったのだろうが、そんなことをゆっくり考えるひまもなく次のシフトを決める日が繰り返しやってくるような状態だった
現状を維持している方が現状を変化させるよりエネルギー少なくてすむし

バイト先ではやたら明るくて社交的な性格で通していたのでやはり引き続き見えないストレスをつくっていたのだろうか、個人が影響するアルバイトだったし

いつだって
先のことを真剣に考えることよりも現状をどうにかしようという方を優先させる癖をなおしきっていないのは問題なのだと思う
身体的なレベルでそういうくせがある
人前でにこにこしているのもそういうところに因るものなのだし



神経症がひどくなった
どうでもいいことにエネルギーをそそぎこんで
自分でもおかしい、やめたいと思いながらやめられないような
よりひどい神経症にレベルアップした

そのときはかばんの中を整理整頓することに躍起になって
整理するポーチをこれでもかという程買った
縫製がゆがんでいる(かすかに・見た目ふつう)という理由で同じポーチも何個も買い直したりした
そしてそこにかばんの中身を詰め替えてはまた出して
すこし気にいらなかったら全部出してまた違うふうにいれて
またポーチをかえてみて気に入らずにまたかえて
の繰り返し
あほとわかっていてもやめられない
この話をした人からは全員からビョーキだよあんたと言われた
さすがにやばいと思った

その他の神経症もなんだかひどくなっていった
外出前に発狂しそうになるのもひどくなった



そして
退学したり体調を崩したときの気疲れから一気にひどく躁転した
胃が治ってからはやはりODする癖は復活した
仕事先から帰ったら帰ったで溜まったストレス(もストレスだと思えていない)をどうにもできないのでしんどさを忘れたくてまたODした
夜中にお酒で薬をたくさん流し込んでらくちんになる癖がついてしまった
当然くすりがたりないので家族などにばれないように一時期はくすりを個人で輸入していた
夜に自分の部屋にお酒を持ち込む癖もついた
ハイになって完全にこの頃はお酒に頼った生活をしていた
お酒さえ飲めばどうにかなったから
飲酒しては友達に電話したり遊び倒したりしていた
自暴自棄のレベルである
「自分を使用」していた
胸まで伸ばしていた髪をちょっきんなーと切ってサイドを刈り上げたりした
結構高いヘアサロンに頻繁に通ったりした
めかして友達とあそんで酔っぱらうことばかりだった
今から思えばむっちゃハイで酷い
よくアル中にならなかったと思う





そんなふうに自分を自分で使っていた

危うく思いながらハイになって暮らすのにはどこかスリルのような気持ちがある
末期のハイはどこか危ういながらもわたしを魅力的にすらするのだろう
なんかいろんな人と飲み遊んだ年だった
自分の若さを発揮していた


大晦日に高校のときの友達とあそんだ
高校には執着心があるわたしである
それは、高校もっと楽しみたかったのに、あんな人間じゃなかったのにそんな高校生活ができなかったという悔しさからくるものである
高校のときの友達とあそべるというそれだけで泣いてしまいそうになる
特別な気持ちが存在する
なんでこんなふうに思うのかはわからないけれども
高校の時はなんでもかんでも
うまく言えないつらさをどうにもできなくて友達にもうまく対応できなかったので
それが今こうして遊べるじゃないかと思うとやりきれない思いがある
すごくたのしかった そのまま初詣にもいった

それですべてのエネルギーを使い果たしたかのように
それで目的を果たしたかのように
次の日から鬱転した
笑える 元旦から鬱転
体調も崩し 今までで一番ひどい鬱にみまわれた
まるまる2ヶ月ベッドから起き上がれないような暮らしを体験した
寝る・トイレ・食べる の繰り返しだけがそこに在った 笑える
なんかもう全てがどうでもいいと思えた

ああ自分てほんまに病気なんやなと思った



かろうじて春までに動けるだけの力をとりもどし
今度こそはと願書をとりよせて今の学校に入学した
それでも動き出すのがおそかったから本当にぎりぎりの日に願書を出したおかげで
教材が届いたりするのも遅くなり
勉強をスタートさせるのがひどく遅れてしまった
それでもどこかでああここまで自分は沈んだのだから
というへんな開き直りがあった

















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