症状を振り返る 〜中学編〜

病歴をぼちぼち、思い出せる範囲で書いていこうと思います





小学生の頃は、運動こそできなかったけれども性格も快活で成績も良く、何かの問題がとくにあったとかそういうことはなかった。

体調を崩し始めたのは14歳ごろ。

中学は受験して、環境ががらりと変わった。
徒歩通学から電車通学へ。
郊外の小学校からまちの中学校へ。


 たぶんこういう人はそこそこ多いのだろうけど、調子の悪いときというのは記憶が実に曖昧である。しかもまだ子供だった。
なので具体的にいつ頃からどんなふうに病状が出だしたか、というのは正確にはわからない。

 ただすごく覚えているのは、朝起きることが難しくなり、私の母がその事でだいぶ困っていたというのが全部の手始めだったということ。
 今でこそ朝が苦手な人というイメージがわたしに定着しているけれども、中学校で朝起きられなくなるまでは、小学校も遠かったので7時には起きていた。それほど朝に困るということはなかった気がする。


朝起こしても起こしても、いっこうに起きられない。
起きない。
起きれば機嫌が悪く、できることなら話しかけたりしたくない。

そういうふうによく母は言っていた。
起きてしばらくは機嫌がすこぶる悪いので、父には「お前は犯罪者の顔をしている」と言われたこともある。

中学か高校か忘れたけれども、『起きない』のではなくて『目が覚めない』状態もしばしばあった。
真冬に布団を剥いでもずっと寝ている。挙げ句の果ては水をかけても寝ている(マンガみたいや)。

今から思えばあれは亜混迷のようなものだったのだろうか、と思ったりする。


 同時に成績も下がり出す。中学は受験して入ったから、入学当時は好成績だったのが、ずん、ずん、とおもしろいように下がっていく。
特に勉強が嫌だったとかいう記憶もない。
まー意識全体がもやがかって、くすんでいる。

 あとは、14の時と言ったら、いじめのようなものに遭っていた。
小学校から中学校へ内部進学してきた人と、外部から受験して入ってきた人が混ざっていたから、人間関係が複雑であった。
いじめかどうかはわからないが、恵まれた友人関係ではなかった。
なので当然のように学校はおもしろくはない。あからさまにグレたりはしなかったが、その頃から本や散歩がすきだったので、帰り道に本屋に寄ったり、知らない道を歩いてみたり電車で知らない駅まで行ってみたりして気を紛らわせていた。

でも中3は結構たのしかったよ。いいクラスにめぐまれて、友達もいたし、人間関係ではあんまり困ってはいなかったかなあ。

でもこの頃からだんだん人が苦手になっていった。



芸術がすきだったのと、年齢からくるものとで、ファッションも音楽も嗜好が小学生のような子供じみたものではなくなっていったので、なにも知らない親としては、脳内では
「浮かれたことにうつつを抜かしている→成績がさがる」
という図式になったらしく、当時はよく派手にけんかもした。
一人っ子だったので親は過干渉ぎみであったのもあると思う。

今では母親とも非常に仲がいいけれども、どの母親も中学生ぐらいの娘に対しては「子供から大人になっていく」現実にうまく対応していけないんだろうな、と今になっては思う。
母と娘という関係は、ちょっと特殊だ。

そして、親もわたしも
「なぜ起きられないか」「なぜ成績がさがるか」
を客観的に考える、という視点があの頃は完全に欠けており、
親としては
「なんか最近いろけづいている。はでな雑誌をかったり勝手な行動が多い。うかれている。しかも成績もさがっているのにどうするつもりだあの子は。起こしても起きない。機嫌もわるい。言うこともきかない」
という気持ちだっただろうし、
わたしもまだ中学生で語彙を持たないから、
「朝だるい。毎日起きられない自分が情けない。学校にいってもだるくて授業とかしんどい。理不尽に怒られてばかりで嫌だ。親はなにもわかってくれない…」
という、
まあ中学ぐらいによくありがちな「誰も自分なんてわかってくれない」図式だったのですね笑。



親とはたくさーんけんかしましたけど、なんか今考えてみると当時、離人感がものすごくあって、怒られているときとかに自分の皮膚の感覚がなくなったりものの見え方がおかしくなったりしていた。


今から思えば、親もわたしもかわいそう…
あれだけ(小学校では)しっかりしていたひとり娘がどんどん駄目になってゆく、という不安は絶大だっただろう。

しかも今から思えば当時は家の収入がずでんずでんと下がりだして、先行き不安というストレスや負の感情が家中に溜まっていたのもあると思う…。
両親の夫婦喧嘩もすごかったし。
夫婦喧嘩がすごかったから、結構けんかの幻聴が聞こえていた笑

タイムマシンで飛んでっていろいろアドバイスしてあげたい。


 親は自宅で仕事をしているので、家族で過ごす時間というのは断然多い。
なので家に帰れば親子間で生じていたイライラを敏感にキャッチしてストレスにしてしまう時間もおおいわけで、たぶん中3ではもう自傷とかもしていた。
でも根が小心者なので、リストカットをものすごく地味にやるぐらいで、その頃は誰にもそれが知られたりはしていなかった。


 日記を書き出したのもこの頃だと思う。
それはそれでいろいろ考えると面白い。

そういうふうにして、中2で生活の駄目な基盤が完全にできあがり、中3では、暗いロックとかアングラなカルチャーに埋もれることだけが生き甲斐のリストカッターという、実に見事な病んでる子のステレオタイプに成長した!
わああ。
書いててぞぞけがするぅ。
恥ずかしくて。

まあ大部分は恥ずかしいけど当時はほんとうにそれだけが救いだったのだろうなあ。だからおんなじよーな若い人とか、たくさんいてるけど、いつか大丈夫になるよーとめっちゃ言うてあげたい。


そんなふうに、今から思うと「うつ状態」の中学生であった。
というか、たぶん「適応障害」でしょうね。
病気だとかは全然思ってないので、通院とかは特にせず。

でも、よく考えてみれば理由のわからないことほど不安を呼ぶことってないと思うので、当時のストレスって半端なかったにちがいない。病気だとわかれば、あーそのせいなんだと思えるけれども。わからなさ、って怖いよなあ。



高校編に続く。
思い出しながら書くの、つかれた!


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