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ふしぎ・ぎもん・みとる 前編

昨日はいきなりマンホール踏み抜いたみたいに

 ボソッ 

と落下して、
もう明日なんて核戦争かなんかで来ないんではないのというぐらいの勢いで混乱してイライラして、ここでは書けんような、どヴァイオレンス!どヒステリック!な1日であったのだった。
じぶんでどうしようと思った…


でもなんで今日になったらそれがはるかかなた、まるで昔いた惑星みたいに思えるのだろう。
今日は丈夫だった。
(今日は大丈夫だった、より、今日は丈夫だった の方がなんかしっくり)


おもしろいなと思うのは、
なんで凹んだときは自分の存在を感情としてしか把握できないのに、凸んだときは現象として見れるのだろう。
いつもそうなっている。

安定すると、
ああ、わたしは脳の物質の機能のなりゆきとしてこうなっているのだ。
そこには良いも悪いも喜怒哀楽もなく、ただ物理的運動としてこうなっているのだ。
というふうに見れる。

でも、落窪んでしまうと、実にダメで
悪い考えの玉突き事故みたいなことが頭で起こっている。
そういうときは全然、原因と結果のつながりだという考えが起こらない。
ただ、そういうとき、じぶんは運命の犠牲者で被害者でしかない。
そんな時は、じぶんってかわいそうだなあと思う。
ただしそういう時に他人からあなたかわいそうだねと言われたら気がくるわんばかりに怒り狂うと思う。

渦中にいる盲目さってなんなのだろう。

あるひとは、もっとも人間を錯乱させるものは身体的な恐怖なのだとかつて言った。
それに近いことが脳の中で起こっているのだろうか。

自分の脳が、どういう状況のときどんな働きをしているのか、もっと知りたい。


目にみえているはずの天気が、実にわたしたちの生活を左右するこのものが、実際は水滴の流動と気圧の道でしかないように、
「きもち」なんてものは物質の流動と神経の道でしかなくって、その結果と数多ある組み合わせと環境からいろんなことが多彩に見えている、ということはわかっているのだけれども、もっとはっきり感覚を掴みたい。



そして知りたいのは、言葉のちょっとしたニュアンスであったりおんがくやげーじつのよくわからない「   」が、なんで、どんなふうに、なんでそんなに大きく鎮静させるの?ということ。時として興奮も。

なぜそれは安心させたり、できるんだろう。

無意識の意識と言ってしまえば簡単だけど、その違いとしくみはなんなのだろう。




薬をのむとき、その物質になって脳のなかまで泳いでいってみたいと思う。








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